Nadja の日記
2012-07-02 12:34:55  反原発の話

大飯が再起動しました。

大飯原発3号機再起動 抗議デモも
(cnn.co.jp)

これに反発を強める人は多いのだけど、その原発反対を訴えてる人って、地元民よりもそうでない人、今はわりと安全圏に住んでる人の方が声がでかい気がするのは、気のせいだろうか。地元にとってはわりと生活の糧になってるという事実もあるし、自治体としてはその地域で原発を置くだけで国からお金が出たりもするので、事故の危険よりそっちが優先されてるところもある。そういうお金の原理で動いてる人たちというのは、節操はないものの明快。非常にわかりやすい。

しかるにこの抗議デモは、どういう思いでその行動に至ってるのかがよくわからない。反原発はわかるけど、何の見返りも勝算もなしに、ただ原発反対という思いだけで、しかもボランティアでそんなことをやれるものなのか。

その地元だけではなくて官邸前とかでも盛大にやってたようですが、私はそういうのは何か胡散臭いものしか感じないんだよね。本当に原発事故を恐れての行為なのかどうか。地域のため、子供のため、未来のためと叫んでいるけど、そういう世論の賛同を誘って主張を成し遂げようとする主宰者の真意は別にあるんじゃないかと勘ぐってしまう。

というか、デモという行為がよくわからない。人がいっぱい集まれば政策が覆るというものでもないでしょう。結局、それだけ集まってる人の反発を押し切って政策を強行する政府という演出をしたいだけのように見えるんだよなぁ。或いは逆か?政府が独裁、専制で政治をしているのではなく、ちゃんとそうした言論を許している(規制はしない)という国の健全性を宣伝しているのかな。この場合、言論自体は自由でも政治には反映されませんが。ただ、報道規制があるようなところを見ると、政治が意図してることではないということか。

これは反原発だけじゃなくて、大人数のデモ行為全般にいえることで、NHKデモとかフジの反韓デモとか、ああいう行列行進って、何かただの祭りという空気しか伝わってこないんだよね(私個人は韓流ゴリゴリは問題だとは思うけど、デモ行進とかは?と思う)。

海外のデモとかみてると、もっと殺気立っていて、通りの店のガラスが割れてみたり車が突っ込んでみたり警察と衝突したりと、どこか切迫したものがあるような感じ。それに引き換え国内のは、事前に公道を使用する許可を得てたりとか、人によっちゃ子連れで列に並んでたりとか、でかい声をあげてるのは前の方にいる人数名だけとか、もう茶番というしかない様相もいくつかみられるわけで、とにかく何かを訴えようという気概がほとんど感じられない。といって、もっと殺気立てといってるわけじゃないですが。

反原発も、なんかデモしてる人たちは、いろんな意味で当事者ではない感がすごくあって、誰にいわれてそれやってるの?と聞きたくなる。地元民でもない。政府関係者でもない。本当に原発事故を恐れている一般市民でもない。一体あなたたちは誰なんですか?と。一言でいうと、気持ち悪い。


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